内向型の生きづらさを考えてみたら、自分で自分を認めてあげられないことだと気付いた話

内向型の生き方

小学一年生の遠足のとき、僕は1人でお弁当を食べていた。

友だちが全くいなかったワケではない。今思うと謎な現象だが、お菓子は友だちと食べる約束をしていた。

だから、少しさみしいけれど1人でご飯を食べるのも大丈夫。そんな風に考える子どもだった。

とこんなエピソードからもわかるように、僕は小学校低学年から内向型まっしぐらなタイプの人間だった。小さい頃からゲームが大好きで、1人でできるRPGが特にお気に入り。

そんな内向型の気質は今も変わることなく30歳を越えて、今まで生きてきた。その中で悩み、生きづらさを感じたのは数百回では足らないだろう。

この文章は内向型であることに悩み、生きづらさを感じている人に読んでもらいたい。そして、生きづらさの正体を知り、今後の生き方を考えるきっかけになれば嬉しい。

先生が「一緒に食べよう」と僕を連れ出した

昔の話に戻ろう。1人でお弁当を食べている僕を見かねた担任の先生が尋ねてきた。

先生「誰かと一緒に食べないの?」

僕「お菓子は〇〇くんと一緒に食べる予定です」

先生「そう・・・それじゃあ、お弁当は先生たちと一緒に食べましょうか」

これを聞いた瞬間、わずかに感じていた罪悪感が一気に膨れ上がったのを今でも覚えている。

「あ、そうなんだ。1人でお弁当を食べることはダメなことなんだ。そうだよな、お母さんも友だちと一緒に仲良く食べるためにこのお弁当を作ってくれたんだもんな」

わずか数秒でこの考えは僕の頭の中を支配した。自分がいいと思っていることは、周りの人から見るとダメなことなんだと思わせるには充分な経験だった。

その後の記憶は定かではないが、その遠足が楽しかった記憶はない。

スキーに連れ出されたが、ゲームをしている方が楽しかった

自分のいいと思っていることは、周りから見るとダメなこと。そんなエピソードは他にもあった。

相変わらずRPGのゲームばかりしている僕を見かねた両親は、スキーに連れて行った。僕はスキーに行くより家でゲームをしていたかったが、そこは小学生。逆らう術はない。

スキーはそれなりに面白かったけれど、やはりゲームの面白さには叶わない。そう思っていると、父親が口を開いた。

「お前にはゲーム以外のことに、もっと興味を持ってほしい」

その言葉を聞いたとき、イラッとした感情とともに、遠足のときに感じた罪悪感がまた湧きあがってきた。

「僕は自分が楽しいと思っていることをやっているだけなのに、どうしてお父さんもお母さんもわかってくれないの?」

「でも、2人とも同じことを言うってことは、やっぱり僕はいけないことをしているのかな・・・」

わかってくれない怒りとともに、自分がしていることは、周りから見て褒められることではないんだと、再び心に刻まれてしまった。

これらが決定打となって、大人になった今でもなかなか自分を認められない、自己肯定感の低い人間になった。ある種の呪いといってもいいかもしれない。

僕の両親も決して悪気があったわけではないと思う。ゲームをやってもいいけれど、それだけじゃなく、外で友だちと遊んだり、他のいろんなことにも興味を持ってほしいと考えていたハズだ。

端的に言えば、家に籠もってゲームをするより、外に行っていろんな人と会ったり、遊んだりして、もっと外向的になって欲しいと願っていた。なぜなら、外向的である方が、今の世の中を生き抜いていくのに何かと役に立つからだ。

でもそれは僕の本質とは違う。誰かと一緒に遊ぶより、1人の世界に浸っている方が好きなんだ。ただ、それを上手く説明できる言語能力もなく、小言を言われたら無口になって不機嫌なオーラを纏うことしか、当時の僕にはできなかった。

外向的であることが良しとされる世の中について思うこと

外向的であることが良しとされる世の中に生きていることは、みんな気づいている。問題は、それにそぐわない性質を持つ人は

「自分はおかしい、ダメな人間ではないのか?」

と自己否定に走ってしまうことだ。

人と仲良くなるまでに時間がかかる、初対面の人とうまく話せない、友だちが少ない、頭でグルグルと考えてしまって行動できない。

こんなのはダメだと自分を責め、外向的になろうと努力をするけれど、変わることができない。失敗を繰り返しているうちに、更に自信がなくなっていき、世の中は生きづらいと思ってしまう。

自分が内向的であることを認められず、外向的になろうとするができない。現実の自分と、世間が良しとする外向的な人間とのギャップ。

これが生きづらさを作り出している原因だと思うのだ。

内向的であることも、強みになる

外向的であることが、内向的であることより優れているといったことは決してない。優劣の問題ではなく、どちらにも強みはあると思っている。

ここ最近だと、コロナ禍で浮き彫りになった「孤独耐性」は圧倒的に内向型の勝利だと思っている。

内向的な人にとっては1人でいることはさほど苦にならない。そもそも1人の時間が大切で、不特定多数の人と会わなくていい状況を心の中で(表立っては言えないので)歓迎している人は少なくないハズだ。

強みと弱みは表裏一体だとよく言われる。

人と仲良くなるのに時間はかかるけれど、仲良くなれた人とは深い付き合いができる。

考え過ぎて実行できないことが多かったけれど、その経験が同じ悩みを持っている人の助けになった。

1人の時間をじっくり確保したら元気になって、また頑張ろうと思えた。

自分の持っている性質を理解して、受け止めてほしいのだ。

少しずつ社会はいい方向に変わってきている

心理療法士のマーティ・O・レイニーの著書『内向型を強みにする』によると、米国では、外向型の特徴を持つ人と内向型の特徴を持つ人の割合は、3:1だという。

日本はやや内向型の人が多いように思えるが、外向型の方がメジャーなのは疑いようがなく、社会はマジョリティの人が生きやすいように設計されている。

けれども最近、少しずつではあるが多様性が認められつつあると思う。それは内向的な人に対しても例外ではなく、ゆっくりではあるがその性質について、以前よりは理解されつつあるように思う。

あとは自分が自分の内向性を認めて「僕はそれでもいいんだよ」と言ってあげられるかが大事だと思っている。

最後に1つ、質問をしたい。

「内向的な自分を認めてあげるために、あなたは自分に何と声をかけますか?」

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